福井ゆかりの人がシルクスクリーン印刷を日本に伝えました【万石和喜政】

スクリーン印刷の始まりをイギリスのサミュエル・シモン氏がシルクスクリーンに関する特許を取得した1905年※1 とすると、歴史的には約110年ほどしかなく、意外にも(グーテンベルグ)活版印刷等の他の印刷技法に比べると、新しい技法ともいえます。(ステンシルや日本の型染を元になった手法として数えるともっと歴史を遡ることになりますので、孔版印刷法という広義な印刷法としては、決して浅いものではありませんが)
古くからあるステンシルでは中抜の柄を保持するためブリッジという柄同士のつなぎが必要となりますが、日本の友禅型紙では“糸吊り”によって柄を保持します。明治末期に富山県※2より型紙に紗を張る技術が全国に広まり、前述のシモン氏の特許のヒントになったとも言われております。

ステンシルの”ブリッジ”
ステンシルのブリッジ

友禅の糸吊り、紗張り
糸吊りと紗張り

欧米で発展したスクリーン印刷を日本にもたらしたのが、福井県の万石和喜政氏でした。
万石氏は大正初期に渡米(一説には美術学校へ留学していたとも)し、現地のスクリーン印刷工場で働いていたらしいです。このスクリーン印刷技術をもって帰国、大正12年に「重合製版法」という特許を取得しました。
万石氏はこの特許を売却、新しく設立されたスクリーン印刷所の技術顧問となります。
製版方式は、万石氏がアメリカより持ち帰ったブロッキング法から、日本の友禅型よりヒントを得たカッティング法を。さらに大正13年には写真製版法を完成したとのこと。
このように万石氏は日本のシルクスクリーン印刷技術の発展に貢献した一人と言えますね。

日本のシルクスクリーン印刷のエポックメーカーが福井に縁がある方だったとは正直驚きました。この福井の地でシルクスクリーンを生業としている我々にとって、実に感慨深く感じられます。。。

※1 シモンの特許の取得年が1907年と記載されている書籍もあります。また具体的にどのような特許であったかまでは調べておりません。

※2 他の書籍では富山県の日本プリント社の常木氏という方が、写真製版法の特許を万石氏の大正13年より早く、大正6年に取得していたという記述がありました。
ゼラチン感光剤を紗に塗布、太陽光で感光させ、現像、乾燥させた後に漆で版膜を強化するというものであったらしく、今の製版法となんら変わらない手法です。
常木氏も万石氏に並んでスクリーン印刷の技術発展に貢献をした人物といって間違いなさそうです。(このあたり富山県に行ったときに調べてみたいと思います)

<参考文献>
日本スクリーン印刷技術協会(1973)『スクリーン印刷ハンドブック』蒼土舎
能登廣道(1976)『スクリーン印刷技術全集』(第1巻 スクリーン(紗)と精度)セリグラフ社
小本章(1995)『シルクスクリーン用具と技法』美術出版社

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